寺院情報
寺院名 | 鶴林山 密蔵院 |
所在地 | 愛知県知多郡美浜町大字野間字松下百五番地 |
御本尊 | 不動明王 |
宗 派 | 真言宗豊山派 |
創 建 | 不詳 |
札 所 | 三河海岸大師 五十二番札所 知多百観音霊場 六十六番札所 野間開運霊場 二番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2018年10月24日
知多新四国霊場公式ホームページのご紹介
http://chita88.jp/
沿革・由緒
当院は白河天皇の勅願寺「大御堂寺」の一山十四坊のひとつとして「宝乗坊」と号し、学頭職を勤めていた。一山は建久元年(1190年)、源頼朝公により、父義朝公の菩提のために創建された。慶長十六年(1611年)大御堂寺一山は徳川家康公による二百五十石を受け、そのうち当院は二十五石を拝領した。堂宇は。度々兵火に焼かれ、本堂は慶安年間(1648頃)再建された。江戸時代の宝暦年間(1751頃)現在の「密蔵院」と改称しています。
現在の本堂、弘法堂、山門は平成十年に新築しました。
本尊の不動明王は、鎌倉期の作とされています。
「境内案内板」より
白壁に朱塗りの山門が映える密蔵院は、白河天皇の勅願所、大御堂寺(知多四国五十番札所)の一山十四坊のうち宝乗坊と号しました。宝暦年間に密蔵院と改称。慶長十六年、徳川家康公から拝領した二百五十石のうち二十五石を当院が拝領するというように、大師堂寺一山の栄枯盛衰と共にして今日に至っています。代々一山の学頭職であったため、当時の経典、書物が当院に多数現存し、特に絵図によって隆盛を極めた往時を偲ぶことができます。
寺院が普通本堂とする南面の堂を客殿としていうのも大御堂寺が本堂であるからです。
※平成十年の本堂新築前に書かれた本からの引用の為、現在では本堂と呼んでいる様です。
本尊は本堂新築前までは不動堂と呼ばれる場所に奉安されていて「盗難除」として大変有名であり、「盗難除御札」が用意されています。
また、境内のには「かじとり観音」が安置されており、海上出現され釣り人達の安全を守る観音様と伝えられています。
「知多四国めぐり」より
知多四国霊場を行く
〇名古屋鉄道 知多新線「野間駅」から約1.0km 徒歩13分
管理人が行く知多四国霊場巡礼の旅
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参拝記
県道277号線"野間河和線"を河和方面から進み、大御堂寺、野間大坊の手前の交差点を左折して少し進むと、五十二番札所「密蔵院」にたどり着くことができます。
駐車場もしっかり用意されていますが、大御堂寺の駐車場に車を停めて、徒歩で周囲の札所を巡るのもお勧めです。一山十四坊を有していたという大御堂寺ですが、現在では一時期の寺勢は無くなってしまっているとはいえ、大御堂寺、野間大坊、密蔵院、安養院と一山三坊がしっかりと残っているので、(明治期まではもう一坊が残っていて、知多四国霊場五十四番札所だったのですが、廃寺となってしまっています。)歩いて巡ると当時の大御堂寺の大きさが感じられると思いますよ。
境内入口
由緒にもありますように、平成10年の大規模造営工事によって再建された山門を有する境内入口になります。寺院を囲む壁も含めて紅白の色彩がかなり強く感じます。あと、密蔵院の境内入口の特徴としては、入口周囲に砂利が引き詰められている所でしょうか。
山門
密蔵院の山門は朱塗りの薬医門なんですが、冠木が通常の薬医門に比べて左右に伸びていて、本柱の外側に壁が起されています。こういった造りを三間一戸の薬医門とも称するそうなんです。ただ、こういった様式だと、朱塗りの色彩とも相まって、かなり迫力のある山門になっています。
手水舎・水盤
木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
手水舎には、密蔵院に安置されている「かじとり観音」に纏わる伝説が書かれた看板が掲げられています。
観音堂
密蔵院の境内の中でも一段高くなっている場所に建っているのが「かじとり観音」が安置されている観音堂になります。この観音堂の脇には・・・
なにやら一艘の船が保存されています。
先ほど、手水舎の所に掲げられていた伝説に登場する船なんでしょうか。
昭和十九年に小笠原諸島の沖で米軍の攻撃によって第十雲海丸だったが、船長以下七名は救命艇に乗り込み、千キロ以上はなれた本土を目指して海原を漕ぎ出したそうで、三十数日漂流する中で、観音様のお導きによって船長の家があった野間の沖合に漂いついたんだとか。一名はその後死亡してしまったが、六名は生き残ったという伝説だそうです。
で、この船がその救命艇なんでしょうかね・・・。
本堂
入母屋造瓦葺平入の向拝の設けられた本堂になります。前面には濡れ縁が設けられています。
本堂、弘法堂も由緒にでてますが、平成十年に建て替えが行われ、それまでの伽藍配置とは異なっています。建て替え前の様子はこんな感じ
「知多四国めぐり」より
当時は正面?に見える錣屋根の建物が客殿であり、その脇に建っている建物が大師堂であり、不動堂だったんでしょう。今まで紹介してきた寺院にも、一見本堂かな?と思っても客殿であり、その脇の観音堂かな?と思った建物に本尊が奉安されていてこちらが本堂になっているという所がありましたが、まさに造営工事する前の密蔵寺はそんな様式だったんだと思われます。
現在では、本堂の中央に本尊である不動明王が奉安されています。
大師堂
密蔵寺の本堂と並び立つ感じで入母屋造瓦葺妻入りの大師堂が建っています。
大師堂の中を眺めていると、本堂とは間続きの様にはなっているのですが、正面から見ていると独立した建物の様に見える様に作られています。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
焔魔堂
本堂と大師堂の間には、案内板が張られていなければまず気付かないであろう、焔魔堂(十王堂)が設けられています。
扉が空くわけではないので、少しの開口部から覗き見る様な形になってしまうのですが・・・
内部には、閻魔大王を中心に十王が安置されています。
修行大師像
境内には、修行大師像が据えられていました。
何やら、知多四国開創二百年記念で建立された像の様です。
自分が巡礼している時は知多四国開創二百十周年でしたが、それでも結構な巡礼の方と出会う事ができたのですが、十年前の二百周年という大きな節目はそれはすごかったのかもしれませんね。
御朱印
参拝を終えて
大御堂寺を中心とした一山三方は、鶴林山という山号になります。知多半島を巡っていると、一山●●坊を有していたという寺院が何ヶ所も登場してきます。あまり山号は意識されない方も多いかとは思いますが、同じ山号の寺院が近くにあったりすると、なんらか関係あるのかな?とついつい想像してしまいますね。ただ、無住の寺院とかになると、寺院名はわかっても山号が全く分からない事もあるので、山号があればわかる様にして頂きたいなあと切に願う次第です・・・。
次の目的地は
知多四国霊場五十二番札所「鶴林山 密蔵院」を後にして、五十六番札所「祥雲山 瑞境寺」を目指します。