寺院の御朱印 知多四国八十八ヶ所 知多郡美浜町 野間開運霊場

鶴林山安養院(知多郡美浜町野間) 知多四国霊場 五十三番札所

2018年4月21日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

知多四国霊場の巡礼を始める切っ掛けとなった寺院になります。
西尾市の上道目記町の「八剱神社」を参拝した際、野間にて源義朝が討ち取られた時に、家臣が宝剣と龍彫刻の二品を持ち出し、宝剣は八剱神社の奉納されたという寺伝を聞き、2019年4月19日野間を訪れました。この時は、正直知多四国霊場については全く興味がなく、野間大坊を訪れた時に、境内に掲げられいた周辺散策マップで織田信長の三男信孝が自害した場所という事で安養院が紹介されていたおり、信孝がこの地で自害させられてたことは知らず、せっかく野間まできたならその自害の場所は見れないにしても、参拝だけでもしていこうと、安養院を参拝させて頂いた次第です。

御朱印を頂いている時に、知多四国霊場の事を教えて頂き、さらに巡礼されている方からも、「お若いのに、是非満願成就応援してますので、がんばってください。」との激励?を受けて、巡礼する時間あるかな~って思案していたのですが、まあ巡礼してみよう。と発起して2018年4月25日に知多四国霊場の巡礼を始めることに。

そして、2018年10月24日、知多四国霊場巡礼の旅八日目にして、やっと安養院に戻ってくることができました。まさに巡礼を初めて半年を擁しているわけですね。いや~本当に長かったですね。まだまだ三十ヶ所近くの札所の巡礼が残っているのですが、自分的には一つの大きな節目の様な気がします。今後、二周目、三周目と巡礼を重ねていく機会があったとしても、安養院にたどり着いた時には、「また戻ってこれた」という気持ちになるんだと思っています。

2019年4月8日 更新

寺院情報

寺院名 鶴林山 安養院
所在地 愛知県知多郡美浜町野間東畠九十番地
御本尊 阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩
宗 派 真言宗豊山派
創 建 建久年間
札 所 知多四国霊場 五十三番札所
知多開運霊場 六番札所
御朱印
H P

参拝日:2018年10月24日

知多新四国霊場公式ホームページのご紹介


http://chita88.jp/

沿革・由緒

大御堂寺一山の一坊「南之坊」と号していましたが、宝暦年中「安養院」と改称し、明治維新まで残っていた大海堂寺一山六坊のうち、龍松院、慈雲院、円明院を併合しました。
※龍松院は知多四国霊場五十四番札所でした。
本尊は、阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩の三尊仏で、これは永暦年間鎌田政清の次男政直が父母菩提を弔おうと奉安した念持仏で、安養院にて一生を念仏三昧で終えたと伝えられています。その後、子孫は鎌田性を改姓し、野間圀彦として、後生は伊勢の朝熊に移住し、伊勢の朝熊の万金丹の創始者はその子孫と伝えられています。

天正十一年(1583年)羽柴秀吉により岐阜城を追われた織田信孝はここ野間の安養院にて自害し果てました。本堂裏には自害した書院が残っていて、割腹した際に、自ら腸を引き出し投げつけたという血痕が残っているそうです。

「むかしより 主をうつみの 野間なれば むくいをまてや はしば筑前」

という辞世の句を母衣(鎧の下着)を引き裂いて書いたといいます。信孝の墓石は、五十番札所「大御堂寺」にあります。

知多四国めぐり」より

知多四国霊場を行く

五十番札所「大御堂寺」、五十一番札所「野間大坊」の南側にあるのが安養院になります。
安養院にも駐車場が数台分用意されてはいるのですが、大御堂寺、野間大坊の駐車場をお借りして徒歩に巡礼された方がよろしいかと思います。


管理人が行く知多四国霊場巡礼の旅

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参拝記

この安養院も知多四国霊場巡りの札所になっています。というか、知多四国霊場巡りを管理している知多四国霊場会の事務局がこの安養院に置かれています。

参拝後住職とお話できる機会があり、ぜひ霊場巡りをやってみてくださいとパンフレットとか札所の場所が載っている地図などを戴いてしまいました。一周目は地図に記載している通り巡るのがわかりやすくてお勧めですよと。一番札所は豊明市にある曹源寺という寺院だそうです。さてどうしようか・・・。

境内に掲げられている由緒書き。すでに1000年を超す歴史を持つ寺院なんですね。

木造銅葺四本柱タイプの手水舎になります。
寺院にある手水舎でこの外観で銅葺の所は少ないかな?と思います。

本堂正面脇にあったこれは・・・・なんと呼ぶのでしょうか。
実際に回してみると、上の滑車の所から主珠どうしがぶつかり合って乾いた木の音が響き渡ります。一周回すものなのかもわからず・・・。

参拝後、御朱印を戴く際に住職さんからいただいたパンプレット。

210周年記念の特別な宝印を戴けるのも今だけ!

次は、5年後?10年後?

どうしようと悩むなら始めましょう!

なんてCMが聞こえてきそうな、「記念宝印」という響き。

さらに、今なら210周年記念の限定版の奉納経も販売されています。

悩みますね。

御朱印

左上に押されているのが210周年記念の記念宝印です。御朱印帳にも押していただけました。

参拝を終えて

織田信孝がこの寺で自刃し、遺品の短刀、辞世の句、臓腑を投げつけた血染めの掛け軸、安土・桃山時代の建築様式の自刃の部屋などが寺宝として残っているとされていますが、部屋の劣化などから公開はしていないそうです。・・・残念。

ここで知多四国霊場巡りをされている方に出会いました。
もう20年近く回っているそうで、奉納経を拝見させて頂いたとき、200周年の記念宝印とかも押されていて、朱印も幾重にも重ね押しされていました。

「お若いのに熱心ですね。是非頑張ってください。」と次の札所に向かわれていきました。

本当にすいません・・・まだ霊場巡りやってないんです・・・。

このおじいさんには55番札所でもお会いする事になり、満願成就できるのを応援してますね。なんてことまで言われ・・・いや、やってないんですなんて言えず・・・・。

さて・・どうしよう・・・、。


あの時の方と出会う機会があれば、おかげさまで結願する事ができました!と報告したいですね。

次の目的地は?

五十番札所「鶴林山 大御堂寺」に向かいたいと思います。

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