大宮神社(蒲郡市宮成町) 西郡五社

神社情報

社 名:大宮神社
鎮座地:愛知県蒲郡市宮成町六番地四号
御祭神:天照大御神、伊邪那美命、速玉男命、事解男命
旧社格:郷社
創 建:元暦二年(1185年)
境内社:祇園神社、御鍬神社
例大祭:十月第二土、日曜日
御朱印:-
H P:-

参拝日:平成30年10月29日

御由緒

当神社は蒲形竹谷両庄開発の領主藤原俊成卿の娘菊姫が父の名を以て元暦二年二月十九日紀州那智山ノ下一野郷より若一王子熊野三社大権現を勧請されたと伝えられている。
文治二年二月十四日に御本殿の造営があり文永三年の境内図によれば境内縦三丁横二丁、本殿六間四面、拝殿間口七間奥行四間、鳥居まで百十間とあり其の広大さが偲ばれる。延元三年九月六日の棟札に初めて大宮大権現の御社名が見える是に依っても御神徳の偉大さが伺はれる。徳川三代将軍家光は慶安二年領主松平清昌の願により御朱印二石を下附され以後明治維新に到る。此の様に往古より領主領民の産土神として尊崇の念厚く幾度と造営修復がなされた。旧本殿は明応元年に造営されてより延々四百八十余年御神徳弥々揚り氏子の亦心に依って昭和四十八年十月十二日新夕に悠久不朽の御本殿として立派に改築された。時に氏子世帯数二千二百五十戸なり。

境内由緒書より


由緒書きの中にでてくる”松平清昌”は、西郡領主となり蒲形陣屋に居を構えた西郷松平氏の初代であり、五千石の交代寄合です。蒲形陣屋は下ノ郷城の近くに建築された陣屋であり、現在の愛知県立蒲郡高校の近くにあったそうです。

大宮神社は、西郡五社の一社に選ばれており、領主の松平氏の崇敬が篤かったのではないかと想像します。

参拝記

地図を見て頂くとわかりますが、下ノ郷鵜殿氏の菩提寺である長存寺、西郡松平氏の菩提寺である天佳院から西方に500mほどの場所に鎮座しています。蒲郡市立図書館前の道路から西に行った場所に鎮座しているので、わかりやすいのではないかな?と思います。

境内入口

境内入口になります。
大宮神社の駐車場には、この参道の先に駐車場があります。車で訪れる時は、鳥居に気を付けて入っていってくださいね。

社号標

旧社格の彫られた社号標になります。

一の鳥居

参道の道路側に据えられている扁額のある明神鳥居の一の鳥居になります。
この先に駐車場がある為、鳥居の下を車が通行しています。場所があれば、鳥居を迂回する車道を設けたい所なんでしょうが、無余地なのでしかたないですね。

厚みもしっかりとあり、なかなか重厚感のある扁額ですね。

二の鳥居

境内の入口に据えられている明神鳥居の二の鳥居になります。
こちらは車止めがしてあり、車で鳥居をくぐることはできません。

手水舎・水盤

木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
なかなか大きな水盤を擁する手水舎ですが、きれいな水が張られており、気持ちよく手水を行う事ができます。

給水口の龍ですが、造形がすごいですね。

狛犬

なかなか愛嬌のある顔つきの狛犬一対になります。
個人的には、この愛嬌のある顔つきが大好きです。

社殿

入母屋造瓦葺平入の高覧が向けられた周り縁のある拝殿になります。
社殿右手には舞台が設けられていて、その奥には射場があります。

大祭の時に、ここで弓道大会が行われているんでしょうね。
舞台であった建物の軒下には・・・

金的中と書かれた額が掲げられています。
射場のある神社って多いんですかね?

(旧)社号標

大宮神社の境内の隅には、村社時代の社号標が残されており、現在も建っています。

境内社

祇園神社になります。祭神は建速須佐之男命。
勝手な想像ですが、元々は牛頭天王社だった所、明治政府の神仏分離策で八坂神社・・・祇園神社に改称したのではとおもうのですが、どうですかね。

御鍬社になります。祭神は豊受姫神になります。神宮の外宮の祭神ですね。

藤原俊成の娘菊姫の墓

拝殿と舞台の間には、気になる立て看板がありました。

御由緒にもでてくる、藤原俊成卿の娘である菊姫の墓がこの大宮神社にあるそうです。
菊姫がどういった姫様だったのかは不明なんですが、御由緒から読み取るには、藤原俊成卿についてこの地の行政に携わっていたんだろうと思われます。

本殿と玉垣の間に、小さな石碑らしきものが据えられています。
たぶん、これが菊姫の墓なんだろうと思うんですが・・・。

参拝を終えて

西郡五社に選ばれている神社の一社になります。
竹島の八百富神社、三谷の八剱神社、水竹の乙姫神社、五井の八幡社と合わせて西郡五社と呼ばれているそうです。順次、この五社も紹介していこうと思います。

 

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