東条吉良観音三十三ヶ所 西尾市

塚越観音(西尾市東幡豆町) 東条吉良観音 四番札所

2018年9月20日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名:塚越観音
鎮座地:愛知県西尾市東幡豆町ウハダ二十二番地
本 尊:観音菩薩
宗 派:不明
創 建:不明
H P:-
御朱印:-
札 所:東条吉良観音 四番札所

沿革・由緒

由緒に「大化年中のころまで、この塚にかくれ人形住居し給う処に、不思議や西国第一の札所那智山の瀧壷へ越されし故に、この塚を塚越しと唱えたるものである。」とあるそうです。由緒からこの観音堂を塚越観音と呼ぶそうです。

参拝記

幡豆町誌にも載っていない、東幡豆駅からほど近い街中の小さな観音堂になります。小さくても東条吉良観音霊場の札所に選定されている所から、かなり以前から地元の方々の信仰を集めている観音堂といえますね。

名鉄蒲郡線"東幡豆駅"から北に約100mほど歩いた場所に、急な石段が設けられた高台に観音堂が建てられています。周囲を見渡してもこの観音堂の建っている場所だけが高台になっていて、海から近い場所に建築するために盛土したのかな?と思っていたのですが、ネットで調べたところ、何やら古墳址に建っているんだとか・・・。

そういわれてみると、円錐の様な形をしている・・・かな?

この塚越観音をさらに印象深くさせているのが、一段下がった場所に建てられている"火の見櫓"ですね。近年徐々にその個体数を減らしつつある火の見櫓ですが、やはりその姿は印象に残りますね。

櫓上部に吊られている半鐘が鳴らされることはないかもしれませんが、秋葉山常夜燈と並ぶ防火のシンボルとしてこの先も大切にしてほしいなと思います。

火の見やぐらとは石段を挟んだ反対側には、愛知県十名勝"幡豆海岸"の石碑が。

この石碑、以前紹介した幡豆神社の境内にも建てられていた石碑と同じものですね。


昭和二年、新愛知新聞社が企画した愛知県十名所の選定事業があったそうです。一般投票で選ばれるとかで、当時の愛知県の人口より多い290万票が集まったんだとか。そんな中選ばれたのが幡豆海岸だった訳です。壮絶な組織票が動いていたのは想像できますね・・・。


石段を登りきると、観音堂が正面に

想像していた以上に立派な観音堂です。
これまたネットの情報では、弘法大師作と言い伝えられている観音様が安置されているんだとか。この辺りを弘法大師が全国行脚の際通っているっぽいので、もしかしたらこの辺りに滞在して観音様を造られたのかもしれませんね。

観音堂には正観音と書かれた扁額が掲げられています。

この塚越観音にも"はずの民話"のサイン板がありました。

わんかし塚

むかし、小見行(こけんぎょう)村に鍛冶屋の八兵衛(はちべえ)という男がおりました。正直で働き者ですが、少し頭が弱いようでした。一文や二文はらいが少なくても、「へえ、へえ、確かに。」と言って、ろくすっぽ数えもしないで、ふところに入れました。
村人のなかには、一つ足りないということで、八兵衛を「七兵衛」と呼ぶ者もありましたが、気にするふうでもなく、にこにこしていました。
鍛冶屋の腕はよいので、仕事はたくさんありましたが、根っからのお人よしときているので金がたまらず、いつも貧ぼうな暮らしをしていました。
さて、むすこが二十さいになったとき、よめさんをもらうことになりました。婚礼には大勢のお客を呼ばなければなりません。そこで、はたと因ってしまいました。
「ごっつぉうは、まあ何とかなるとして、ぜんをそろえる金がねえ。」
困った、困ったと思っているうちに日が過ぎて、あと七日もすれば婚礼の日です。
せっぱつまった八兵衛は、いつもお参りする観音さまに、とんでもない願いごとをしました。
「観音さま、せがれの祝言(しゅうげん)にぜんが足りねえだ。ぜんを貸してくだされ。」
真けんに、何度も何度も拝みました。すると、お堂のおくから不思議な声が聞こえてきました。
「八兵衛よ、ほしいぜんの数だけ手をたたきなさい。そして、その日、朝一番にここへ来るがよい。」
八兵衛は、しばらくぽかんとしていましたが、言われたとおり、十回手をたたいて家へ帰りました。

祝言の日、夜明けを待ちかねて、うす暗いうちから観音さまのところへとんで行きました。
「やや…。これは、これは。」
お堂の前に、立派なぜんが十きゃく、おわんもそえて、きちんと置いてあるではありませんか。
「ありがとうごぜえます。観音さま。なんとお礼を言ったらいいか…。」
なみだを流して喜ぶ八兵衛に、この間と同じ声が聞こえました。
「ぜんとわんを貸すのは、きょう一日だけじゃ。忘れるでないぞよ。」
「はい、はい。よくわかりました。ありがとうごぜえます。」
八兵衛は何度もお礼を言って、ぜんを家に運びました。
祝言が始まりました。
どのお客も、立派なよめさんとむこさんをほめました。が、もっと目をみはったのは、並べられたぜんとわんのみごとなことでした。
「わしゃ、七兵衛なんて呼んでばかにしとったが、今までこんないいおぜんでよばれたことはねえぞ。」
「おれもだ。ほんにたいしたもんよ。」
にぎやかな祝言が終わると、八兵衛はぜんとわんをきれいに洗って、その夜のうちに返しに行きました。
その後、わん付きのぜんを貸してくれる観音さまの話は、辺りの村々にまで広まりました。人々は事あるごとに、八兵衛に教わったとおりお参りし、ぜんを借りました。
さて、それから数年後のことです。
村の大助の家で法事がありました。おしょうさんのお経も終わり、借りてきたぜんで酒盛りが始まりました。酒好きの大助は、よめさんが止めるのもきかずにたらふく飲んで、グーグーねてしまいました。目が覚めたのは、もう明け方近くでした。
「しまった。おらあ、ねちまっただか。」
あわてて返しに行こうとしましたが、おぜんもおわんも見つかりません。血まなこになって外まで探し回りましたが、どこにもありません。とうとうあきらめて、大助は観音さまの前に来ました。
「酒飲みすぎて、忘れてしまっただ。決して悪気があったわけでねえ。返そうにもぜんもわんも消えてしまった。許してくだされ。」
大助は何度も頭を下げて、あやまりました。
しかし、約束を破ってしまった為、その後は二度と椀を借りる事はできなくなったそうです。


こういった椀貸し伝説は日本全国にあるそうです。
幡豆の様に観音様だけでなく、多くの椀や膳が必要になった時、塚・池・淵・洞穴などの前で頼むと貸してくれたが、破損させてしまったり、数をごまかしたり、幡豆の様に期日までに返さなかったので今では貸してくれなくなったという伝説。


観音堂脇には、秋葉神社が鎮座しています。独特な社号標の後ろには秋葉山常夜燈が・・・。これはまた別記事で紹介していきます。

また、観音堂を挟んで反対には愛宕神社の祠があるのですが、写真を撮り忘れました・・・。

秋葉神社、愛宕神社とも火伏の神様として有名ですね。秋葉神社は静岡、愛宕神社は京都・・・東西の火伏の神が祀られています。さらに火の見櫓も設置されていて、この観音堂の場所は東幡豆の方達の火伏の信仰の中心地だったっぽいですね。

石像については、詳細は不明なんですが、その脇の庚申と彫られた石碑から庚申信仰に関係する石造なのかなと想像してみたり。


外観からは想像できない中々見所の多い塚越観音です。駅からもほど近い場所にありますし、ぜひ訪れて頂きたい観音堂ですね。

-東条吉良観音三十三ヶ所, 西尾市