古墳巡り

宝塚古墳(三重県松阪市宝塚町)

2024年4月28日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

POINT

令和六年に宝塚一号墳から出土した国重要文化財である「舟形埴輪」が”国宝”への指定が答申されたとして一躍紙面を賑わせました。そんな舟形埴輪が出土した宝塚古墳も昭和7年には国指定史跡になっているなど三重県を代表する古墳の一つになります。

古墳情報

史跡名宝塚古墳
所在地三重県松阪市宝塚町一二〇番地一(GoogleMap
所 属宝塚古墳群
形 状宝塚1号古墳:前方後円墳
宝塚2号古墳:帆立貝形古墳
規 模宝塚1号古墳:墳丘長111m、高さ10m
宝塚2号古墳:墳丘長90m、高さ10.5m
築造時期5世紀初頭
出土品舟形埴輪、囲形埴輪、壺形埴輪、円筒埴輪、家形埴輪、柱状埴輪、器材埴輪、土器

文化財

国指定史跡:宝塚1号墳・2号墳
重要文化財:1号墳出土品(276点)

史跡情報

URLhttps://www.city.matsusaka.mie.jp/site/bunkazai-center/takarazuka-kohun.html
駐車場
訪問日2024/4/24

沿革

 1号墳は前方後円墳、2号墳は帆立貝形古墳とそれぞれ異なった形状となっていますが、それぞれが当時伊勢国を代表する大型古墳となっています。両古墳とも埋葬施設は未調査となっている為、正確な築造時期は不明ながら五世紀前半の築造と推定されています。

POINT

 埋葬施設について未調査という事で、被葬者についても未詳ということになるのですが、1号墳については当地の豪族の飯高氏祖とされる「乙加豆知命」が埋葬されているという伝承があるそうです。

乙加豆知命とは?

古事記・日本書記には登場しない「国津神」になります。
伊勢神宮の創建に非常に深く関わっている「倭姫命」が天照大御神が鎮まる場所を求めて各地を廻っている途中、飯野高の地を訪れた時にお迎えしたのが乙加豆知命であると「倭姫命世記」に記されています。
この書物の中に、倭姫命が乙加豆知命に「あなたの国はなんと言う名前ですか」と問うと、「飯高国です。」と申し上げ、倭姫命は「飯が高い(米がよく取れる)という国名は非常によい名前です」と仰せられた。倭姫命はこの地に飯野高宮を造営し四年ほど滞在したとし、乙加豆知命より神田・神戸が進められた。と記されています。

 伊勢神宮が現在の五十鈴川沿いに鎮座するまで豊鋤入姫命・倭姫命によって理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、滞在し一時的に祀られたという伝承をもつ場所を「元伊勢」と呼ぶのですが、飯野高宮も「元伊勢」の一つになります。

〇飯野高宮伝承地
※櫛田川沿いに飯野高宮の伝承地とする神社が点在している。
・飯野高宮神山神社
・神戸神館神明社
・牛庭神社
・久尓都神社(現在加世智神社に合祀)
・滝野神明社(現在水屋神社に合祀)
・花岡神社

 宝塚古墳の名を世に知らしめたのは何といっても「舟形埴輪」の発見ではないでしょうか。発見前から国の指定史跡となっていた事からその重要性は認知されていたと思われますが、令和になって国宝になろうかという舟形埴輪の発見は考古学に興味のない人にもその存在を知らしめることに繋がっていると思います。

 発掘調査で舟形埴輪が発見された場所には現在レプリカの埴輪が置かれています。家形埴輪など珍しい埴輪も沢山出土しているのですが、この舟形埴輪はなんだか別次元の存在感があるなあと実感します。

出土した埴輪などは松阪市文化財センター(はにわ館)に収蔵されています。
https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/bunkazai-center/

訪問記

愛知県を飛び出して三重県松阪市に遠征記事になります。令和六年(2024年)に紙面を賑わせた「松阪市にある宝塚古墳から出土した舟形埴輪が国宝へ!」という記事を読んで是非一度見てみたいとおもって向かう事にしました。

 現在、宝塚古墳周辺は「宝塚古墳公園」として整備されていて、しっかりと駐車場も用意され、古墳を巡る歴史探訪がゆっくりと行える空間となっています。

 現地に設置されていた案内板によると、1号墳と2号墳はほぼ隣り合った場所に築造された古墳であることが解ります。古墳形状のヒエラルキー的には前方後円墳はかなり上位にくるようで、この伊勢の地に築造されたということは、ヤマト朝廷的にもかなり重要な場所だった事がこの辺りからも窺い知る事ができます。

 なにやらこの宝塚古墳と伊勢湾と挟んで対岸に位置する愛知県西尾市にある正法寺古墳は共に前方後円墳でありくびれ部分に島状遺構が発見され、さらに家などの形象埴輪が発見するなど共通点があるそうで、一説には伊勢湾周辺におけるヤマト朝廷の力を見せつける為にこの地に前方後円墳を築造したとも考えられているんだとか。

 何気なく巡っていた古墳から松阪市に繋がるって浪漫を感じますね。

 公園の駐車場から1号墳に向かって歩いていくと、レプリカ古墳が並べられ復元された島状遺構が見えてきます。古墳の脇に造られた祭場というのが使用目的だったと考えられているそうで、実物を見るまでその大きさなどがいまいち分からなかったのですが、こうして古墳と島状遺構を見比べると確かに祭場っぽいなと実感できます。

 古墳から島状遺構を望んでみます。ここの島状遺構の大きな特徴は古墳と島状遺構を繋ぐ「土橋」が設けられている所なんだとか。ほかの古墳の島状遺構を見た事が無いので「そうなんだ。」という感想しか出てこないのですが、確かに祭式を行うにあたって古墳と繋ぐ土橋は無くても問題ないような気もしないでもないですが。

 で、土橋の脇から舟形埴輪が発見されたそうです。どういった形で発見されたのかは不明ですが、割れることなく当時の形のまま埋まっていたのでしょうかね。

 1号墳全体に木々が茂っていたと思いますが、古墳の形状がわかる感じで伐採が行われていて、当時の形状とまではいきませんが、古墳全体と島状遺構の姿を思い浮かべる事ができます。

 墳丘上からは松阪市街地を一望する事が出来、正直思った以上に眺望が開けた場所になっていました。訪れた日があいにくの天候で遠くまで見通す事ができませんでしたが、晴れていたら伊勢湾迄見えたと思います。

地図で所在地を確認「

史跡名宝塚古墳
所在地三重県松阪市宝塚町一二〇番地一(GoogleMap
最寄駅鉄道:近鉄・JR東海「松坂駅」徒歩48分
バス:鈴の音バス「宝塚古墳公園前バス停」徒歩3分

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