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吉良上野介義央ゆかりの青鳥山真正寺

2018年3月25日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

当ブログでは、あまり取り上げることのない寺院なんですが、今回は吉良氏でも特に有名な吉良上野介義央、富子夫人ゆかりの寺という事で、訪問してきました。

この真正寺は、富好新田と呼ばれる地区に鎮座しています。その名前から干拓された新田であることがわかりますね。元禄三年(1691年)から新田の干拓を開始し同十年(1698年)に完成した新田を富好新田と呼びます。この新田開発にかかわってくるのが吉良上野介義央になります。

吉良上野介と富好新田

吉良上野介義央の正室を吉良富子と言います。この富子夫人は出羽米沢藩「上杉家」の出身であり、いくら歴史ある吉良家とはいえ、4000石程度の旗本と30万石を超える大名との婚姻はとても異例な事でした。義央も上杉家の力に頼らざるを得ない状況もあり、非常に富子夫人を大切にしたと言われています。

富子夫人と七面様

そんな富子夫人が元禄元年(1688年)に重い眼病を患います。
ある夜、童子姫が枕元に立ち、

「本復を願うなら甲州身延の七面様に祈願せよ。」

とのお告げがあり、その眼病の癒の祈祷のため、身延山久遠寺(日蓮宗総本山)に趣き、八切徳水の御滝で身を清め

「病全治癒せしめ給えば生涯の守り本尊として尊崇し新たに塩田を開いて報謝の志となさん」

本復祈願をしたそうです。その後実際に眼病が治った為、この霊験に感謝し、身延山の七面様の御分身を受け、新たに干拓にて開発した新田に祀ったという事です。

現代風に考えるとすごいこと言ってる気がします・・・。
「目の病気が治ったら、この七面様を私の守り本尊として祀り、そして海を埋め立て、塩田を作り、そこで作った塩を収め(塩を売りお金を治める)させて頂きます。」
って感じなわけで、いくら良君と呼ばれた吉良様の命令としても、夫人の目が治ったからって、海を埋めろ!塩を作れ!七面様に奉納しろ!ではたまったものではないですな・・・。

実際に、元禄三年(1691年)から七年の歳月かけて新田開発を行い、この地を富子夫人にちなんで「富好新田」と名付けたそうです。そして元禄十一年(1699年)に身延山久遠寺から七面様の御分身を授与され、新田の中央部に氏神として祀ったと言われています。

真正寺と八幡社

神仏習合が最も進んだ時代であろう江戸中期になると、神社と寺院の垣根もかなり曖昧になっていたんだと思います。

吉良義央が七面様を祀ったと書きましたが、まだ当時は仮殿状態だったといわれています。その後、あの松の廊下、吉良邸討入という「忠臣蔵」で有名になってしまった事件にて義央、六十一歳の生涯を終えてしまいます。吉良家廃絶、吉良領は天領になっていきますが、村人の総意で、元禄十六年、社殿を建立し、七面様を配祀る際に八幡大神を歓請し祭り、社殿完成を受けて、身延三十二世日省上人より総本山御書授与され、寺号を真正寺と公称し、神事も真正寺の住職によって執り行われてきました。

宝暦四年、津波にて社殿流出、境内を吉良町小山田字東山にある青鳥山の南側の現在八幡社が鎮座し場所に遷座したそうです。そして、明治維新を迎え、明治初期の神仏分離策によって日蓮宗守護神とされる七面様を祀る真正寺と八幡大神を祀る八幡社に分離させられます。そして明治八年、七面様の氏神の神号廃止、真正寺も青鳥山から現在の場所に遷座します。

現在の真正寺

そんな真正寺が建っている場所なんですが、現在は工場や市営住宅などに囲まれて、なんとなく窮屈っぽい場所になってしまっています。

写真を見る分にはそんな感じは受けないんですけどねえ。

境内入口脇に置かれていた、しっかりと氏神と彫られている、天保年間の建立の七面大明神の石碑になります。この時代、あくまでも主として祀られていたのが七面様だったみたいですね。

由緒と文化財指定の案内板

この案内板の奥、手水舎の向こう側に吉良上野介義央と富子夫人の墓所があります。
写真の片隅に入り込んでくる分にはいいんですが、わざわざこれが誰々のお墓です!と写真を撮るのは個人的に好きではないので、真正寺にある義央と富子夫妻の墓所は他サイトで確認して頂くか、実際に自分の目で見てみてください。

これはなんていうんでしょうか・・・

寺社は〇〇山〇〇寺と社名の前に山号がついているところが大多数ですので、これは山号なのかな?とは思うのですが、調べると日蓮宗青鳥山真正寺というそうですので、さらに七面山の謎は深まっていきます・・・。

御朱印

この真正寺では書き置きにはなりますが、多種多様な御朱印が用意されています。それにしても・・・達筆っすね・・・。なんか、この御朱印がネットなどで"売られている"と注意文が掲げられていました。せっかく御住職のご厚意で御朱印を用意していただいているのに、転売目的で何枚も同時に持っていく不埒な人がいるんですね。

当サイトの御朱印をもらおう!のページにも書いていますが、あくまでも御朱印は参拝の証です。それ以上でもそれ以下でもありません。御朱印巡りが脚光を浴びるのはそれは結構なことだとは思いますが、トレーディングカードと同じような感覚も持つことは絶対にやめて頂きたいですね。

そうはいっても、そういう心がわからない人もいるので、転売をしているんだと思います。そういう人にわからせる為には、転売されている御朱印を買わない事です。というか、買ってまで御朱印を集める心もさっぱりわからないのですが・・・。


さて、次回は、この真正寺が元々鎮座していた場所、青鳥山にある八幡社をうかがってみたいと思います。八幡社の参道まで1kmほどの行程になります。

国道247号線を東に進み、吉良温泉入口の交差点が見えてきたら、八幡社までもうすぐ!

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