岡崎市 岡崎市

北野廃寺(愛知県岡崎市北野町) 西三河最古寺院

2020年9月14日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

 現在、岡崎市北野町から安城市西部を通り、碧南市鷺塚町辺りで矢作川に合流している「鹿乗川」流域にて発掘された古代寺院四ヶ所の中で一番最古の寺院跡になる「北野廃寺」になります。一説には尾張から三河を領有していた物部氏によって建立されたと言われています。

寺院情報

寺院名北野廃寺
所在地愛知県岡崎市北野町郷裏40番地他
御本尊
宗 派
創 建飛鳥時代
札 所
御朱印
H P

参拝日:2020年7月16日

沿革・由緒

 岡崎市北野町にある西三河最古の寺院とも言われている「北野廃寺」になります。当時の寺院名なども不明の為、北野町の廃寺跡という事になります。
 建立時期は大化の改新以降(七世紀中期)に建立された寺院であると推定されています。当時は、この辺りは物部氏が治めている地域であり、物部氏の氏寺として建立されたとも考えられているようです。寺院の規模は、東西126.5m、南北146mとなり、寺域の四方に土塁がめぐり、中央に南から北へ向かって南大門、中門、塔、金堂、講堂、僧房が一列に並ぶ四天王寺式の伽藍配置となっています。

 物部氏といえば、「日本に仏教が伝わった当所、廃仏派の物部守屋と崇仏派である蘇我馬子・聖徳太子(厩戸皇子)らが対立し、最後は「丁未の乱」と呼ばれる戦いで物部守屋は滅ぼさ、守屋の領地後に四天王寺が建立された。」と、学校の日本史の授業で習った方が大多数であるため、「物部氏=廃仏派」というイメージがあるのかなと思いますが、物部一族の中で廃仏派だったのは物部守屋ら一部にすぎず、物部氏一族の大多数は廃仏派ではなかったとされています。

 尾張から三河にかけては物部氏の一大拠点だったと伝えられていますが、物部守屋が滅んでも物部氏全体が滅んだわけではないので、尾張や三河の領地をそのまま物部氏が治めていてもまったくおかしい話ではないですし、この辺りを治めていた物部氏が北野廃寺を建立するのもそれだけの勢力を誇っていたという事を示しているんだと思います。

 昭和四年(1929年)に国の指定史跡となり、昭和三十九年(1964年)の発掘調査と、昭和五十二年(1977年)の史跡公園整備に伴う調査が行われていて、日本では他に例を見ない高句麗の流れを引く文様を持った軒丸瓦や堂塔の壁面を飾った仏、瓦塔、緑釉陶器、灰釉陶器などがあり、中でも青銅製の磬形垂飾は、正倉院とここにしかない貴重なものが出土しています。

歴史探訪

 矢作川の西側を矢作川と平行に流れている「鹿乗川」の源流点近くに国の指定史跡となっている北野廃寺跡があります。現在は北野公園として四天王式伽藍配置が確認できるように整備されています。西三河最古と言われる寺院跡になります。平安時代には廃寺となっているようです。

鹿乗川の源流近くに創建された「北野廃寺」、別郷町に創建された「別郷廃寺/紹介記事」、寺領町に創建された「寺領廃寺/紹介記事」そして矢作川との合流地点近くに作られた「志貴野廃寺」と飛鳥時代の西三河に建立された古代寺院がまさに鹿乗川沿いに建てられています。

 まあ、当時は鹿乗川ではなく矢作川の流域がかなり広かった為、矢作川流域に建立されたんだとは思うのですが、その後、矢作川が碧海台地から離れていくと、その支流として鹿乗川が誕生した為、現在は鹿乗川沿いにこうした史跡などが数多く残っているんだろうと思います。

参拝記

 三菱自動車岡崎工場の東側の住宅地の中に整備されている北野公園があります。現在でも周囲の収用が行われているのか、公園周囲には岡崎市が管理している土地が点在していて、最終的には北野廃寺全体を収用する事になるのかなと思います。

 「史跡 北野廃寺跡」と彫られた石碑になります。まるで寺号標を彷彿とさせる石碑ですね。この石碑周辺が南大門があったであろうと推測される場所の様です。

  一番手前が塔跡、その奥の一段盛り上がっている場所が金堂跡、そして基石が並んでいる場所が講堂跡になります。真っ直ぐ一直線に伽藍が配置されていた事がわかります。この造りが四天王寺式伽藍配置なんだとか。

 現代の感覚では本堂の目の前に三重塔や五重塔を建てるかといえば・・・・まず建てないでしょうから、古代寺院の伽藍配置は現代の感覚からだとかなり異様な配置になるんだろうと思います。

 北野廃寺といえばこの塔跡の半地下式に据えられた心礎の写真ですかね。きの心礎に刻まれた柱座径から推測するに法隆寺の五重塔に匹敵する大きさになるんだとか。

 もしかしたら推古天皇の次代天皇になっていたかもしれない「聖徳太子(厩戸皇子)」が築き上げた斑鳩の法隆寺にある五重塔と同規模の等が北野廃寺にあったとすると、一時の勢いは失っていただろうと推測されますが、まだまだ物部氏の力というのは侮れないものがあった事が見えてきます。

 岡崎市によって設置された北野廃寺跡の説明板になります。ステンレス製でだいぶ劣化してきていますがカッティングシートによって書かれているおかげで設置してからかなりの年月が建っている様に見えますが、まだまだ十分読むことができます。

雑誌・マンガに加えて旅行雑誌の定番"るるぶ"も月額500円(税抜)で読み放題!

やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。
やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。

所在地を地図で確認

寺院名北野廃寺跡
所在地愛知県岡崎市北野町郷裏四十番地他
最寄駅愛知環状鉄道「北野桝塚駅」徒歩11分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

https://amzn.to/2UHeO79

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

-岡崎市, 岡崎市
-,