弥勒山信光明寺(愛知県岡崎市岩津町) 松平氏菩提寺

寺院情報

寺院名弥勒山信光明寺
所在地愛知県岡崎市岩津町東山四十七番地
御本尊阿弥陀如来
宗 派浄土宗
創 建宝徳三年(1451年)
札 所法然三河 三番札所
御朱印
H P

参拝日:年月日

沿革・由緒

「新編岡崎市史」によると、

 松平氏三代「松平信光」は、三ヶ寺を建立した。
 ・永享十二年(1440年)、万松寺(曹洞宗)
 ・宝徳三年(1451年)、信光明寺(浄土宗鎮西派)
 ・寛正二年(1461年)、妙心寺(浄土宗西山深草派)

 下総国飯沼弘橋寺で修学し三遠両国で布教をしていた釈誉存冏に帰依した信光は岩津城下の弥勒谷と呼ばれる場所に初代親氏、二代泰親の為に一宇を宝徳三年(1451年)秋に建立したと伝えられる。
 その後、松平氏、酒井氏の寄進により文明十年(1478年)に諸堂伽藍が落成。この時建てられた伽藍の一つが現在国の重要文化財に指定されている観音堂(当時は法堂)になります。
 諸堂落成の翌年の文明十一年(1479年)に後土御門天皇より勅願所の綸旨を授かっっています。

 松平郷にある高月院が松平親氏・泰親の菩提寺でしたが、岩津城を中心とした勢力の拡大が行われていくかな、信光明寺を建立し菩提寺を移したと言えると思います。

 その後、元亀二年(1571年)武田信玄の三河進出によって法堂を残して焼失するが、その後徳川家康の命により再建されています。

 信光明寺の門前にある由緒では、文亀年中に北条早雲率いる甲州敗軍が寺領に侵入し法堂を残して焼失とあります。
 色々突っ込みどころ満載な感じの由緒になっていますね。
 今川氏親による三河侵攻は永正三年~五年(1506-1508年)に行われ、伊勢新九郎(後の北条早雲)を主将として行われています。東三河を制圧した今川軍は長沢、生田と進軍して岩津城の南方「井田野」に布陣したと言われています。
 文亀年中にも今川氏親は三河侵攻を行った事はあるのですが、東三河への侵攻であり、松平氏と戦闘をした記録はなく、この時は岩津城下まで今川軍が進軍していないと思われますし、そもそも率いているのは今川軍であって甲州敗軍ではないはずです。

 その後も火事があり、宝永以前の建物は、観音堂と客殿・唐門・総門のみになっています。

 信光明寺の鎮守社として天満宮が鎮座しており、現在は岩津天満宮として信光明寺とは東名高速道路を挟んで反対の場所に鎮座しています。三河周辺における学業祈願・合格祈願で多くの崇敬を集める神社になっていますね。

歴史探訪

 信光明寺を開山した「釈誉存冏」は千葉氏一族の出身であると伝えられています。元々浄土宗鎮西派は、筑後を中心に協議が広まった事から”鎮西”と呼ばれる様になり、鎌倉時代の建長元年(1249年)頃下総に下向し関東一体で勢力を伸ばしていくことになります。
 関東で多くの弟子を養成し寺院が増えてくると門下の中から多くの流儀が分出しています。関東三派と呼ばれる白旗流藤田流名越流、さらに京都三派と呼ばれる三条流一条流小幡流らがそれに該当するそうです。

 釈誉存冏はこの中で白旗流に属しており、白旗派は「了誉聖冏ー酉誉聖聰という白旗派のみならず鎮西派全体の隆盛の基礎を築いた流派」になります。

了誉聖冏━酉誉聖聰━嘆誉良肇━慶善了暁┳釈誉存冏(信光明寺開山)
                   ┣勢誉愚底(大樹寺開山)
                   ┣周誉珠琳
                   ┗肇誉訓公

 存冏、愚底が三河国で寺院を開山させると、師にあたる了暁も関東から三河国に来て御津町大蓮寺(現:大恩寺)を建立させ、三河国に浄土宗が進出する事になっていきます。特に松平氏が帰依した事が三河国内で大きく浄土宗が布教されていく切っ掛けになったと言っても過言ではないでしょう。実際、松平信光の孫(松平親忠の子)が存冏に弟子入りし、超誉存牛と称し、浄土宗本山知恩院二十五世を務めるなど浄土宗の中核を担う事になっていきます。

参拝記

 信光明寺へは、岩津の街中の非常に細い道を進んでいく必要があります。旧国道248号線に標識が立っていて、え?こんな細い路地に入っていくの?と思ってしまうと思いますが、標識にそって思い切って路地に進入してもらうと、上記ストリートビューの場所に出るかと思います。真っ直ぐ鳥居が見切れている側の道路は岩津天満宮へ通じており、右に曲がっていくと突き当りに信光明寺があります。
 信光明寺の境内の半分以上は岩津保育園となっていて、平日に参拝する場合は登園降園時間はさけるのがよろしいかと思います。

参道

 上記ストリートビューの分岐点を信光明寺への参道入口なのかなと思うのですがどうなんでしょうかね。なぜにここが参道入口なのかというと・・・

 分岐(追分)の所に石像が集められています。見てわかる方も多いかと思いますが、四国八十八ヶ所の写し札所(石像)になります。史料やネット情報を調べても信光明寺に四国霊場が開創されているとは出てこなかったので、その存在を知らなかったので驚きでした。実は、この日、信光明寺に参拝する前に岩津城を登城してきたのですが、実は岩津城にも四国八十八ヶ所の写し札所が置かれていました。という事は、岩津城、信光明寺周辺を霊場としたミニ四国八十八ヶ所霊場が作られていたという事になる訳です。
 都市化の中で街中に置かれていた札所がここに集められたこの場所も信光明寺の飛地なんだろうと思う訳です。

 道路(参道)を進んでいくと、道の脇に札所が置かれていますね。何度か車で通たことあるのですが、全く気付かなかったなあ・・・。

 どんどん進んでいくと、石垣に土塀という一瞬城郭と思ってしまう寺塀が見えてきます。これが見えてきたら信光明寺はもうすぐそこです。

山門

 袖壁が設けられた薬医門の山門になります。もう少し手前から撮影したかったのですが、車が結構駐車されていた&園児が移らないようにと考えていたこの場所しかなかった・・・。

 山門の前には、「下乗」と彫られた石碑があり、ここで馬や籠に載っている場合降りる様に促す石碑になります。
 その石碑の後には四国八十八ヶ所の写し札所が置かれていますね。

唐門

 中門といった感じで、唐屋根瓦葺妻入となっている薬医門が据えられています。江戸時代の火災を乗り切った門なんだそうです。

本堂

 切妻造瓦葺平入の向拝が設けられた本堂になります。

この本堂の前には狛犬一対が鎮座していました。建立年月は不明ですが、全体の雰囲気からかなり古い狛犬のはずです。江戸時代生れかな?

観音堂

 平成から令和の大修理を終えてすぐの国の重要文化財に指定されている浄土宗寺院としては、最古級の禅宗様の仏堂である観音堂になります。まだこけら葺の屋根が新しく白っぽいですね。年月を重ねていく内に黒く重厚な屋根になっていくんでしょうね。

 屋根の反りが非常にきつく、その独特な佇まいが非常に印象にのこる建物です。

 この観音堂の前には「芭蕉天神」と彫られた石碑が建っています。この芭蕉天神は岩津天満宮の創建に非常に深くかかわっている様で、境内に書かれた説明板と岩津天満宮の由緒を抜粋してみると、

 宝暦九年(1795年)正月第二十二世の住職一誉上人が将軍家年頭御礼のため江戸に表へ赴く途中、病に罹り芭蕉という辺りで養生をしている時、病気治癒を天神に祈願した所、病が回復し無事江戸での将軍謁見を済ませる事ができた。一誉上人は、帰国途中に鎌倉・荏柄山天満宮を参拝し、御分霊をいただき、帰国後菅原道真公の像を刻み御神体とし観音堂に暫くの間安置するが、上人の夢枕に天神様が立たれ「我を 四辺眺望の地に 祀るべし」との御神託があり、山の上(現在岩津天満宮地)に社殿を整へ芭蕉天神をまつった。明治になり神仏分離によって御神体は信光明寺の寺内に移された。

となっています。この御神体がたぶん・・・観音堂に安置されているんだと思うのですが。

 この石碑の感じだとやっぱり観音堂に芭蕉天神が奉安されているとおもうのですが、その隣に建っている宝形造の屋根の建物も怪しい感じがします。ただ石碑からは離れすぎてるかな。

松平氏三代墓所

 本堂や観音堂の裏手に墓地があり、その中でも石段を上がった一段高い場所には松平三代の墓所があります。

 元々は四方を土壁で囲まれていたんであろう松平三代の墓所になります。土壁はかなり崩れてきていますがいつ頃の物なんでしょうかね

 向かって左から松平親氏、泰親、信光の墓になります。細部までしっかりとした造形が残っている宝篋印塔の造りを見るととても500年経過しているとは思えないので、後年作り直された宝篋印塔になるんだと思います。

 この土壁の外側には、岩津譜代に名があげられる成瀬氏の三代目成瀬政直の墓石があるそうなんですが、この日参拝した時点ではその情報を得ておらず、また参拝した時に訪れたいと思います。

 墓所にも信光明寺の参道の所で紹介している四国八十八ヶ所の写し札所が据えられていました。札所の番号を見ていくと、信光明寺の墓所あたりから岩津城に向かって札所が設けられていて、岩津城をぐるっと回って今度は信光明寺の参道方面に向かっていく感じのミニ四国霊場の様です。

酒井広親の石塔

 信光明寺の境外地には、松平信光と共に信光明寺に深く帰依していたと思われる譜代酒井氏始祖「酒井広親」の石塔があります。

 こちら酒井広親の石塔については、既に別記事で紹介していますので、こちらをご覧ください。

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所在地を地図で確認

寺院名弥勒山信光明寺
所在地愛知県岡崎市岩津町東山四十七番地
最寄駅名鉄バス「岩津天神口バス停」徒歩5分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある”村の鎮守の神様”と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな”知多四国霊場”を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

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