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頭護山如意寺(愛知県名古屋市緑区)四国直伝弘法三番札所

2020年10月10日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

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 東海道鳴海宿の西側に建っている曹洞宗の寺院「頭護山如意寺」になります。地蔵堂にて奉安されている地蔵菩薩は、火難除の地蔵としてあがめられた他、地元の漁師が蛤を奉納し放す風習があったことから蛤地蔵とも呼ばれています。

寺院情報

寺院名頭護山如意寺
所在地愛知県名古屋市緑区鳴海町作町八十五番地
御本尊如意輪観音如来
宗 派曹洞宗
創 建康平二年(1059年)
札 所四国直伝弘法  三番札所
尾張六地蔵   四番札所
鳴海宿十一ヶ寺 五番札所
御朱印
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参拝日:2020年8月26日

沿革・由緒

 平安時代後半の康平二年(1059年)、今の如意寺の境内地より北側(現在の鳴海町上ノ山辺り)に雲道開法師により創建された寺となります。元々の寺号は「青鬼山地蔵寺」と称していた様です。弘安五年(1282年)に「霊鷲山長母寺(現在の名古屋市東区)」の開祖である無住国師が現在の境内地に地蔵寺を移しています。そして、応永二十年(1413年)に曹洞宗に改宗し、寺名を現在の「頭護山如意寺」と改称し中興開山しています。

 江戸時代中期となる正徳二年(1712年)、幕府からの命により如意寺に時を知らせる為の鐘を置かれる事になります。何刻の時にどんな鐘の音で知らせていたのかは分かりませんが、如意寺の時の鐘は、鳴海宿全体に時知らせていたのでしょう。しかし、僅か十二年後の享保九年(1724年)に鐘(時報)は廃止となってしまったようです。

 如意寺の地蔵堂には、平安時代の仏師である「定朝」作と伝えられる地蔵菩薩像が奉安されています。この地蔵菩薩像は尾張六地蔵の四番札所の札所本尊となっています。また、この鳴海に住む漁師たちが蛤を奉納し、正月の歩射の行事で蛤を放生していた事から「蛤地蔵」とも呼ばれています。

 四国直伝弘法三番札所の札所本尊となる弘法大師像は、如意寺の山門脇に設けられている弘法堂に奉安されています。この弘法堂には、十王像と「せき地蔵」と呼ばれる喘息の治癒に御利益があるとして有名な地蔵様が合わせて奉安されています。

 元々の寺名「青鬼山地蔵寺」は、創建の際の伝説が元となっている様です。名古屋市緑区が纏めている資料によると

尾張国司藤原元命は尾張に赴任して鳴海に住みましたが、悪人で人々を苦しめていました。冬の寒いある日、元命が遊びから帰る途中、地獄沢にさしかかると小さな流がありました。水は冷たく足を濡らして渡るのをためらい、従者に命じて近くあった地蔵菩薩を刻んだ卒塔婆を引き抜かせ、流に渡して踏みつけて通りました。その罰で元命と従者為家は青鬼に捕らえられ、閻魔大王の前に引かれ、地獄へ送られるところを、仏に姿を変えた地蔵菩薩に救われました。地獄沢の古事として『小治田之真清水』に絵が描かれています。
 元命は暫くおとなしくしていましたが、再び悪行をして国司を罷免されました。為家は地蔵菩薩の慈悲を深く感じ、薙髪して雲道開法師となり、康平2(1059)年如意寺を建立しました。最初は青鬼山地蔵寺と称していました。

緑区誌より

 「藤原元命」は私欲の為に貧しい農民から苛烈な収奪を行うというまさに「悪代官」の代名詞ともなっている平安時代の貴族で官位は従四位尾張守になります。正直な所、元命と同じような悪政を行っていた貴族は他にもいたはずですが、「尾張国郡司百姓等解文」によって元命が行っていた悪政が記されている為、この時代の悪代官の代名詞となってしまっているようです。

 如意寺は江戸時代まで名鉄鳴海駅のすぐ北側に鎮座している「浅間社」の別当寺となっていたようです。鳴海駅周辺の区画整理によって浅間社は元の境内地から少し東に遷座しています。

 江戸時代の俳人「松尾芭蕉」が元禄七年に亡くなると、亡くなった翌月の月命日に当たる日に、芭蕉の弟子である「鳴海六俳仙」らと如意寺の如風和尚により追悼会が行われたそうです。そしてこの時に最古と言われる芭蕉の供養塔が造られ、如意寺の境内に据えられたと言われています。その後、芭蕉の供養塔は、鳴海六俳仙筆頭と言われる千代倉家当主の「知足」に縁のある「来迎山誓願寺」に移されています。

参拝記

 東海道の宿場町「鳴海宿」の中に建っている「頭護山如意寺」になります。この辺りは、東海道が整備される前は如意寺の北側の鳴海城が建ってた北側を鎌倉街道が通っていました。少し街道がずれていますが古くからこの辺りは人々の往来が盛んだった場所だったのでしょう。

境内入口

 東海道沿いに、たぶん縁日の際に提灯を掲げる為であろう門の様なものが据えられていて、そこから真っ直ぐ参道が伸び、山門を奥に臨むことができます。如意寺では保育園も経営されている様で、送り迎えの時間はこの参道は園児と保護者でいっぱいになっていそうですね。

山門

 通用口が設けられた袖壁がある薬医門の山門と、その脇には四国直伝弘法の三番札所の札所本尊となる弘法大師像が奉安されている弘法堂になります。この弘法堂の中には「せき地蔵」と十王像も併せて奉安されています。四国直伝弘法を遍路される時は、こちらの弘法堂にて納経することになります。

 弘法堂と説明していますが、中央には地蔵菩薩立像の「せき地蔵」が奉安されているので、本来は地蔵堂というべきなのかもしれませんね。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

本堂

 入母屋造瓦葺平入の向拝が設けられた本堂になります。本堂の造りが比較的低床造となっているのが特徴と言えるようです。

地蔵堂

 寄棟造平入の向拝の設けられた地蔵堂になります。この地蔵堂の屋根の材質は何になるのでしょうね・・・。金属瓦と呼ばれる瓦にみえます。

 こちらの地蔵堂には、尾張六地蔵の四番札所の札所本尊となる「地蔵菩薩坐像」が奉安されています。由緒でも紹介していますが、「蛤地蔵」と呼ばれている地蔵菩薩像になります。

御朱印

 四国直伝弘法の納経帳をお持ちの方は、セルフ朱印となるようです。本堂脇や弘法堂ではなく、庫裏の玄関の脇に印と朱肉が入った入れ物が置いてありました。もし見当たらない時は探してみて下さい。

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所在地を地図で確認

寺院名頭護山如意寺
所在地愛知県名古屋市緑区鳴海町作町八十五番地
最寄駅名古屋鉄道 名古屋本線「鳴海駅」徒歩5分
前札所霊場名次札所
二番:来迎山誓願寺四国直伝弘法四番:孝養山明忠院
三番:海底山地蔵院尾張六地蔵五番:島田山地蔵寺
四番:護国山東福院鳴海宿十一ヶ寺六番:来迎山誓願寺

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

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