雨尾山観福寺(愛知県東海市大田町) 知多四国霊場八十二番札所

寺院情報

寺院名 雨尾山 観福寺
所在地 愛知県東海市大田町天神下ノ上五番地
御本尊 十一面観世音菩薩
宗 派 天台宗
創 建 大宝二年(702年)
札 所 知多四国霊場 八十二番札所
知多西国観音 二十一番札所
知多百観音 九十一番札所
御朱印
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参拝日:2018年11月21日

知多四国霊場札所一覧

沿革・由緒

大田村字天神上ノ下に在り。境内千八百四十一坪。天台宗。東春日井郡野田村密蔵院末たり。大宝二年(702年)行基菩薩之を開基創建し自刻の十一面観音及び不動毘沙門の像を安置する。後漸く頽廢(荒廃)せんとしたりしを宝徳二年(1450年)十月、慶山法印之を再興す。寛文五年(1665年)に至り本堂を改造し同十年国侯徳川光友大に之を修飾を加え盖し光友の大に帰依する所たり。寺伝に云ふ古寺領百五十貫ありしと雖も豊臣秀吉の時之を没収せらる。織田信長又朱章を賜りしも慶長年中九鬼の暴火に焼亡し後絶たりと寺宝今蔵するもの多し皆光友の寄附する所たり。

尾張国知多郡誌」より

東春日井郡野田村に在る「密蔵院」は、現在の愛知県春日井市熊野町3133にある「医王山薬師寺密蔵院」になります。

天台宗 医王山 薬師寺 密蔵院 (いおうざん やくしじ みつぞういん)
あなたの中の仏に会いに…。住職とお茶しませんか。癒しの修行道場 天台宗 医王山 薬師寺 密蔵院

ここ観福寺の由緒にも、関ケ原の合戦の際、西軍の九鬼軍によって灰燼に帰してしまったと記されています。知多半島、特に伊勢湾側の札所を巡っていくと、由緒に度々登場する「九鬼水軍」。勉強不足で関ヶ原の合戦前後、九鬼水軍がどういった動きをしていたのか解らないのですが、由緒に登場する事から、伊勢鳥羽から伊勢湾を横断して東軍福島正則の所領だった尾張国知多郡を攻撃していたことが伺えます。海軍力が弱い徳川軍としては対処が大変が軍勢だったのではないでしょうか。

知多四国霊場を行く

知多四国霊場八十一番「巨渕山 龍蔵寺」の納経を終えて、再び国道155.247号線を北上していきます。「高横須賀町」交差点を右折し、名鉄常滑線、河和線をアンダーパスするとすぐに出てくる「高横須賀町5丁目」交差点を左折します。すると目の前に「長源寺」が見えますが、その寺院の手前を右折して少し進んでいくと、右手に幼稚園、左手に観福寺が見えてきます。

※長源寺は、四国直伝弘法の札所になります。

東海市最初の札所となる「雨尾山観福寺」になります。無檀家である観福寺は、本堂などの伽藍を整備するために境内を一部を切り売りして補修したんだとか。そのおかげで、今でも江戸時代に作られた本堂を見る事が出来る訳です。

知多四国を行く-11日目-旅行記

参拝記

東海市にある私立雨尾幼稚園の北側に今回参拝する「雨尾山観福寺」があります。名前からなんとなくピンッとくる方も見えるかと思いますが、幼稚園の名前は山号である雨尾山が由来となっています。・・・もしかしたら観福寺が経営する幼稚園なのかも?HPなどがないのでそのあたりの確証が取れないのですが。ただ、参拝者駐車場として幼稚園の建物のすぐ北側の駐車場が使用できる当たり、かなり確率が高いのではと思っています。

紅白つばき

こちらの椿、本来は一対で植えられていて、それぞれに白色、赤色の花が咲くという事で合わせて「紅白つばき」と呼ばれるようになったんだとか。この椿を植えた方こそ知多四国霊場を開創した「亮山阿闍梨」になります。そしてその後、紅白の花と共に、檜の芽がふくようになったとか。その為、「檜つばき」とも呼ばれるそうです。

じっくり見てなかったので、どういった芽がふいているのか解らないのですが、広葉樹の椿の木から針葉樹の桧の芽がでるってどういうことでしょうか。

山門

八脚門に金剛力士像が安置されている仁王門になります。

真っ直ぐ参道が本堂に向かって伸びているのがわかりますね。

手水舎・水盤

木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。

なかなか凝った造りの水盤に石製の竜頭給水口が設けられています。ここの手水舎なんですがセンサー式になっていて、水盤の前に立つと給水口から水が出てくる仕組みになっています。

本堂

入母屋造瓦葺平入の向拝が設けられ、外陣部分が開放型の本堂となります。

本堂は愛知県の指定文化財になっているようで、愛知県庁の文化財ナビ愛知というHPには下記の通りの説明がされています。

寺は、雨尾山と号し、天台宗に属し、十一面観音菩薩(平安後期・県文)を本尊とする。現本堂は棟札によれば寛文5年(1665)に尾張藩主徳川光友の援助により棟梁大塚弥市良重によって建立されたものである。本堂は、桁行5間、梁間5間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付である。間取りは、前方に外陣、その奥の中央に内陣、その両脇に脇陣をおき、周囲に落縁を廻らしている。堂周囲には丸柱を立て、縁長押、内法長押、頭貫、台輪を廻らし、柱上に出三斗(でみつど)を載せている。外陣(げじん)では四挺の大虹梁を架け、内陣前に格天井、その周囲には化粧屋根裏天井を張り、内陣では中央後方に来迎柱を立て、前に禅宗様須弥壇(しゅみだん)を出し、宮殿を安置している。この本堂は、中規模ながら密教本堂の形式に忠実であり、建築的な質も高く、貴重な遺構である。

さらに、本尊である十一面観音菩薩像が収められている宮殿は国の重要文化財となっています。

また外陣の天井には、奉納された絵馬などが掲げられています。

外陣中央には、山号が書かれた扁額も掲げられています。

さらに、外陣に置かれている何やら紙芝居風な説明・・・

助左衛門という男が、観福寺の本尊にちからを授けてほしいと百日祈願を行った所、千人力の力と三十六貫の鉄棒を授かったそう。しかし千人力の力は歩くだけで地震を起こしてしまうほどだったようで、助左衛門は改めて観福寺の本尊に祈願し、百人力に抑えてもらったそう。その後池田輝政の軍に仕官した助左衛門は三好清海入道と改名して、その百人力の力で戦で大活躍したんだとか。その後、年老いた入道は観福寺に使っていた鎧兜を寄贈したそう。兜をかぶると大病しなくなると噂が広がり、兜をかぶりたいと願う者が多く観福寺に訪れた。

と書かれています。三好清海入道と言えば「真田十勇士」なんですが、十勇士は反徳川家康であって、池田輝政は准親藩ともいうべき武将であり、親徳川家康になります。同じ名前で正反対の陣営にいたという中々面白いエピソードかなと。さらに言えば両者共力自慢という共通項があるのも・・・。

入道の鎧と思われる物も飾られていましたが、ほぼ野ざらしの様な状態では、原形をほぼなくしつつあるのは仕方ない所かなと。


内陣には、本尊である十一面観世音菩薩を中心に、様々な仏像が奉安されています。元山大師、行基菩薩像、不動明王、六地蔵、毘沙門天、六観音、弘法大師像、御祖祖像になります。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

三十三観音堂

境内には、西国三十三観音霊場の写し観音像が奉安されています。

御朱印

参拝を終えて

本堂前には、十一面観世音と弘法大師と彫られた石柱が据えられています。

知多西国観音霊場の札所本尊でもある十一面観世音菩薩と知多四国霊場の札所本尊である弘法大師を両方案内できる石柱ですね。

旅行記の方でも書いていますが、ここ「雨尾山観福寺」は知多三山と呼ばれる名数の一つに数えれています。知多半島でも三本の指にはいる古刹であるという事でしょうか。残りの二カ所は

・知多四国霊場四十三番札所「大慈山岩屋寺
・知多四国霊場六十一番札所「御嶽山高讃寺

になります。共に知多四国霊場の札所でもあります。三箇寺とも、行基菩薩が開山となっています。奈良時代から続く古刹という事がわかって頂けるかと思います。

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所在地を地図で確認

寺院名 雨尾山 観福寺
所在地 愛知県東海市大田町天神下ノ上五番地
最寄駅 名古屋鉄道河和線「高横須賀駅」徒歩9分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある”村の鎮守の神様”と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな”知多四国霊場”を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

仏像とお寺の解剖図鑑
仏像とお寺の解剖図鑑

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は?

観福寺の納経を終えて、次は知多四国霊場八十三番札所「待暁山 弥勒寺」を目指します。

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