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御嶽山 高讃寺(愛知県常滑市西阿野) 知多四国霊場六十一番札所

2019年9月26日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名 御嶽山 高讃寺
所在地 愛知県常滑市西阿野字阿野峪71番地
御本尊 聖観世音菩薩
宗 派 天台宗
創 建 白鳳十二年(684年)
札 所 知多四国霊場 六十一番札所
知多西国観音 十二番札所
常滑郷大師霊場 六番札所
知多三山
御朱印
H P

参拝日:2018年11月14日

知多四国霊場札所一覧

https://www.tokoname-kankou.net/reijyou/

http://chita88.jp/

沿革・由緒

西阿野村字阿野峪にあり。境内千六百九十八坪、天台宗、東春日井郡野田村密蔵院の末寺たり。白鳳十二年の創建なり。天武天皇の勅願行基菩薩の開基にして古七堂伽藍三百坊の僧院あり。本宗第一の巨刹たり。天文六年織田氏今川氏と兵を交わるの時灰燼に帰す。同十二年之を再興したりと雖も、文禄年中再び兵火により天文再興の八院只僅かに"南の坊"一宇を残すのみ。長祐法印其一宇を再興し猶舊号を称す後ち木食知法和尚又再興建立せり。往古古器奮記等少なからさりしと雖も天文文禄の災害により今は只應永十二年法印智光の撰に係る一古縁起を存するのみ当時古巨刹の名残歴々地理に存し古昔境地の様見えたり。

「愛知縣知多郡史」より

天武天皇勅願寺として行基菩薩が現在地より北東1キロ、三岳の地に天竺伝来の香木で本尊聖観世音菩薩を始め多数の仏像を彫刻安置。三百の堂宇を有する七堂伽藍完備の巨刹であった。
戦国の世、天文六年(1537年)に、織田信秀、今川義元の戦火あり、堂宇末坊の大半を失い、文禄年間(1592-5年)に又、一部兵火焼失。江戸中期寛保年間(1741-3年)明治三十一年再度失火。

「境内案内板」より

知多四国霊場を行く

知多四国霊場巡礼の旅もついに10日目に突入しました。

前回(巡礼の旅9日目)は篠島・日間賀島にある札所にて納経を行ってきました。また篠島は伊勢神宮との結びつきが強く、伊勢神宮の20年に一度行われる式年遷宮において古材を下賜されることが唯一決まっているという神明社・八王子社が鎮座し、更に毎年伊勢神宮に奉納されている"おんべ鯛"を製造している干鯛製調所もありました。

知多四国霊場巡礼の旅-9日目-

そして、今回は8日目の続きからの参拝となります。8日目の最後に納経したのは60番札所である「大光山 安楽寺」まで参拝していたので、61番札所「御嶽山 高讃寺」からの遍路になります。

今回遍路で廻る場所は、まさに常滑の中心街を南から北に抜けていく様な形で廻っていきます。そしてこの辺りは常滑城を中心とした"常滑水野家"の領地だった場所でもあり、当然ですが"常滑焼"の生産の中心地でもあります。知多四国霊場だけでなく、様々な史跡も点在する場所になります。

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参拝記

国道247号線沿いに六十一番札所である「御嶽山 高讃寺」があります。ストリートビューを見て頂けらばわかる様に、国道からは高讃寺の伽藍等を見る事が出来ない為、案内看板と・・いつまであるか解りませんが公衆電話BOXが一応目印となるでしょうか。ゆっくり走るとわかるのですが、石柱門と参道の石段も見えなくはないですが奥まった場所にあるのであまり飛ばさずに走ってください。

石柱門

向かって右側に山号と寺号、向かって左側に知多四国霊場の札所案内が彫られた石柱門がたっています。木々の枝がもう少し伸びてくると隠れてしまいそうですね。

仁王門

石柱門を抜け、石段を登り参道を進むと、八脚門が見えてきます。左右に仁王像が鎮座する"仁王門"ですね。

何故か、均等な感じで撮影したはずなのに、ここまで拡大率が変わっているとは・・・。

この仁王像は愛知県の指定文化財になっています。仁王像の由来が書かれた案内板が掲げられていたので、紹介しますね。

昔話「池の中からでてきた仁王様

昔、樽水本宮山の前方↓の御嶽の池の中から引き揚げられた仁王様で大勢の村人が話し合い樽水洞雲寺へ運ぼうと綱を引く人、後ろから押す人、しかしどうしても動かず弱り果て、ア!そうだ 此れは高讃寺の仁王様だ。高讃寺へと話がまとまり「ソレ引け」と引いたところ今までビクともしなかった仁王様がまるで足でも生えたかのように軽く動き無事高讃寺へ安置できた。めでたし、めでたし。

注)戦国の天文六年(1537年)織田・今川両氏の戦火を逃れ三岳の池の中へ。幾数年後の江戸時代初期の寛文年間現在地へ「池の中から出てきた仁王様」が眼前の此の仁王様です。

「仁王門 掲示板」より

手水舎・水盤

銅葺木造四本柱タイプの手水舎になります。
造り的には非常に質素な造りの手水舎かなと思いますが、水盤は比較的大きいのですが足がなく、なんとなく石造りのお風呂を想像してしまう形状になっていますね。こういった造りの水盤がこれからはふえていくんでしょうかね。

本堂

寄棟造瓦葺平入の向拝の設けられた本堂になります。本堂の周囲には高覧のある濡れ縁が設けられています。

本堂の中央には本尊である聖観世音菩薩が奉安され、その向かって左側に弘法大師像が奉安されています。善の紐が伸びているのもわかりますね。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

客殿

本堂の脇には寄棟造の向拝の設けられた客殿があります。

知多四国霊場を廻る様になって一番大きな事といえば、今まで寺院で一番大きな建物が「本堂」だと思っていましたし、本尊がそこに奉安されていると思い込んでいました。しかし、今まで「観音堂」「薬師堂」と思っていた建物に本尊が奉安されていてそちらが「本堂」であり大きな建物は「客殿」などと呼ぶことがある事を知り、衝撃を受けた事を思い出します。

ただ、知多四国霊場の札所の寺院には、本尊が奉安されている建物の前に本尊の紹介案内板が掲げられていて、どこの建物に本尊が奉安されているのかが直ぐ判るのでとてもありがたいですね。

御朱印

参拝を終えて

境内に自生している常滑市の天然記念物に指定されているツバキになります。樹齢は300年越えだそうです。自宅に生えている椿もあと280年ほど枯れずに成長したらこれだけ大きくなるのかしら・・・。

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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。 やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。

所在地を地図で確認

寺院名 御嶽山 高讃寺
所在地 愛知県常滑市西阿野字阿野峪71番地
最寄駅 知多乗合バス「常滑南部線」阿野バス停徒歩17分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は?

「御嶽山 高讃寺」の参拝を終え、次は知多四国霊場六十二番札所である「御嶽山 洞雲寺」を目指します。そう、仁王門に安置されてる仁王様を最初に運び込もうとした寺院である洞雲寺になります。

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