おはようございます。
本日は2020年8月26日(水曜日)になります。晴天の下、朝の10時前だというのに日なたの気温が楽々35℃を突破するというここ数年当たり前の異常気象の中、名古屋鉄道名古屋本線の「鳴海駅」にやってきております。ただ、駅前に居ながら電車で鳴海駅に降りた訳ではなく、いつもの様にバイクでやってきた訳ですが。
今回なぜ鳴海にやってきたのかと言えば、知多半島を舞台とする様々な霊場を巡りつつ、その道中にある神社、城跡、史跡なども併せて巡っていく、題して「知多半島遍路・巡礼・参拝・探訪全部盛り」という企画が本当に可能なのかどうかを検証する為です。
当サイトの遍路や巡礼における移動手段は基本「バイク」となります。途中高速道路を使用できるように使用するバイクは150ccの「PCX150」を使用しております。その為、遍路される方の大多数の移動手段だろうと思う「車」や最寄駅からの「徒歩」での移動ルートとは異なる場合が結構あるのではと思います。まぁ、当サイトをご覧の方は何となく気付いているかとは思いますが、自分が遍路や巡拝を行う際、非常に「寄り道」をします。この寄り道を可能にするために「バイク」での移動となっている訳です。この辺りはご了承いただけると幸いです。
「知多半島遍路・巡礼・参拝・探訪全部盛り」の企画を進める為には、1日のスタートとゴールの設定をどうするかという事が重要になりそうな気がします。正直あまり地理感のない知多半島を巡っていく訳ですから、できる限り効率よく「寄り道」ができるように、事前に地図でルートを設定して、これをGoogleマップに落とし込んで、ナビ設定をしたうえで巡っていく事になるかと思います。
そこで、スタート地点とゴール地点については、JR、名鉄の駅とすることとして、河和駅と内海駅より南側については、師崎と豊丘辺りを基点にしようかとは思っています。
という訳で、本日は名鉄「鳴海駅」に来ている理由は、「知多半島遍路・巡礼・参拝・探訪全部盛り」の1日目のルート設定の中で、スタート地点として鳴海駅としたからになります。因みに、ゴールは鳴海駅から南に進んでJR東海の「大高駅」を考えています。自分の脳内で設定した行程ではめっちゃ時間に余裕のあるはずなんですが、さてさて、ゴールまではどれくらいでたどり着くことができるでしょうか・・・。
さて、ここで「全部盛り1日目」のルートを発表します。
[鳴海駅]・・・【史跡】中島砦跡・・・・【直伝一番】龍蟠山瑞泉寺・・・・【史跡】善照寺砦跡・・・・【史跡】鳴海球場跡・・・・【神社】成海神社・・・・【史跡】丹下砦址(一国山光明寺)・・・・【史跡】鳴海城跡・・・・【史跡】東福院・・・【直伝三番】頭護山如意寺・・・【直伝二番】来迎山誓願寺・・・【寺院】庚申山圓道寺・・・【史跡】鳴海神社旧境内地・・・【神社】鳴海八幡宮・・・【直伝四番】孝養山明忠院・・・【史跡】鷲津砦・・・【知多八十七番】鷲頭山長寿寺・・・[大高駅]
こんな感じで、鳴海周辺を巡りながら大高方面に移動していく予定です。鳴海周辺を第一回目に選択した理由は、知多半島を舞台とする霊場の中で一番北端に札所を有する「四国直伝弘法」の一番札所~三番札所までが鳴海周辺に集まっているのが主たる理由になります。まぁ、実際の所、一番の北端は本四国移霊場の八十七番札所高照寺と八十八番札所興正寺になるみたいなのですが、ちょっと離れすぎているので知多四国霊場などの結願で参拝する際にご紹介していこうかと思います。
さて、長々と述べてきましたが、いよいよ出発しようかね。
鳴海駅のすぐ北側を流れる「扇側」の左岸を東に向けて走っていきます。しばらく走ると扇川と手越川の合流地点が見えてきます。第一目的地である「中島砦址」はまさに扇川と手越川に挟まれた中島と呼んでも差し支えなさげな場所に築かれた砦になります。
中島砦址
愛知県名古屋市緑区鳴海町下中地内 GoogleMap
まぁ、皆様のご想像通りだと思いますが、中島砦址には遺構と呼べるものは一切残っていません。江戸時代になり、予想ですが中島砦址と横切る様に東海道が整備され、街道筋として整備された頃には遺構は全く残っていなかったのではないでしょうか。現在では、土地の所有者の方のご厚意で住宅地の一角に「中島砦址」の石碑がフェンスが設けられた土地の一角に据えられています。何時もはどうかわからないのですが、丁度自分が訪れた時、フェンスに取り付けられた扉が開いていたので、失礼させて頂き石碑を拝見してきました。
桶狭間の丘陵上に陣を敷く今川義元に対し、織田信長は桶狭間から見て後方に位置する善照寺砦から最前線となる中島砦に本隊を進めます。この時中島砦には同盟関係である水野家の「梶川高秀」が客将として配属されています。ここ中島砦から桶狭間にいる今川軍の本陣に向けて出陣していくわけですが、途中現代でいうところのゲリラ豪雨があって、地理感のある織田軍は今川軍に気取られる事無く、今川軍の第一軍をすり抜けて本体に突撃する事になります。少し前まで桶狭間の戦いでは今川軍は織田軍の奇襲によって破れたと言われてきましたが、近年では奇襲説はかなり衰退し、正面衝突説が声高に言われるようになっているんだとか。
「中島砦跡」を後にして、扇川を渡る橋のすぐ近くに建っている四国直伝弘法一番札所である「龍蟠山瑞泉寺」を参拝していきます。曹洞宗の寺院になるのですが、この瑞泉寺を強く印象付けているのが山門の存在になるでしょうか。中島砦から扇川沿いを歩いている時も、その山門が一際目を引きます。
扇川を挟んで瑞泉寺の境内を望むと、特徴的な山門が見えます。この写真で写っている扇川に架かる橋は旧東海道になります。江戸時代、東海道を行き交う人々の眼を奪い続けていたのかもしれません。この山門は、黄檗宗の総本山である万福寺の総門を模したものなんだとか。
龍蟠山瑞泉寺
愛知県名古屋市緑区鳴海町字相原町四番地 GoogleMap
当サイトでは、知多四国霊場を満願した時に、次はいつになるか分からないけど四国直伝弘法を遍路してみようかなと思い、納経帳だけでも頂いておこうと思い参拝していました。これが2018年12月ですのでもう少しで丸2年前のことになるわけですね。という事で、1年8ヶ月ぶり二度目の参拝になります。神社仏閣を巡っていると、「変化のない大切さ」というもののあるんだなと実感します。
ここ瑞泉寺を参拝した後は庫裏にて「四国直伝弘法霊場」の納経帳を購入されるとよろしいかと思います。知多四国霊場と比べるとどうしても知名度では劣る弘法大師霊場の一つなのですが、知多半島全体を霊場としている事もあり、知多半島全部盛りの企画が完遂した暁には満願できるはず・・・・なのです。
・当サイトで紹介させて頂いている「四国直伝弘法」のページになります。是非一度見てください。
瑞泉寺の参拝を終えて、このまま旧東海道を西に進むと思いきや、北に進み丘陵上にある「善照寺砦址」を目指します。中島砦と打って変わり、こちら善照寺砦は周囲と比べても標高の高い位置にあり、鳴海城を見下ろせる様な場所に築かれた事がわかります。
ストリートビューでみるとあまり坂道には見えないですが、突き当りの公園に向かって坂道が続き、公園部分は更に一段高くなっているのが分かるかと思います。この一段高くなっている公園が「善照寺砦址」になるようです。