神社紹介
神社名 | 稲荷社 |
鎮座地 | 愛知県安城市小川町大久根九十七番地 |
御祭神 | 保食神、天照大御神 |
旧社格 | 村社 |
創 建 | 不詳 |
神名帳 | ー |
境内社 | ー |
例祭日 | 十月七日 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年5月25日
御由緒
小川町岩根地区の鎮守社となるのが今回紹介する「稲荷社」になります。
創建、由緒は明らかではなく、資料に残っているのは、明治六年五月、据置公許となり、明治四十三年十月、字大久根九十九番の神明社を境内社として稲荷社の境内に遷座した。(地番から稲荷社のすぐ隣ぐらいに鎮座していたのだと思われます。)
大正三年四月、境内社となっていた神明社を本社に合祀。大正十三年九月、社殿を改築しています。
昭和二十年五月一日、村社に列格しています。
稲荷社の境内に「由緒書」が据えられているのですが、愛知県神社庁の神社名鑑では詳細不祥となっていた由緒ですが、少し詳しいことが書かれています。
古記「三河堤」によれば、この地は岩根石塚と称し、聖徳太子の時経文を納めし御墓と傳之也という。
当社健治三年(1277年)、岩根初代の城主「加藤正成」はじめて、この地に社を建てて保食神を祀る。以来これを石塚稲荷社と称した。その後應永元年(1394年)に至り、もと寺領の地に存した大同山長松寺再び兵火の難に遭い当時収儲したる経典を当社に移す。よって経塚稲荷社の名のある所以である。その後明治三十三年(1900年)に舊岩根城の守護神として城跡に鎮まれる天照大御神をここに合祀して今日に至る。
因に現存の社殿については、本殿は鎮座以来数回の営築を重ねて昭和四十四年に、拝殿は明治三十一年に、さらに渡殿は大正八年にそれぞれ修築、社務所は最も晩く昭和五十三年の竣工である。
歴史探訪
「岩根城/紹介記事」城下から発展したであろう岩根地区の鎮守社になります。小規模の神社ではよくある事ですが、社伝が失われてしまっている為、創建時期、由緒などは全く分からない神社になります。
ちかくには、聖徳太子が落ちてきた岩を持っていた鞭で打ち返すと三つに割れて各地に飛び散ったとされる岩の一つ「むちうけの岩」が落ちた場所という「ぐたら池」があったと言います。このぐたら池におちた岩を寺領に運びこの岩を祀るために作られた寺院が「寺領廃寺/紹介記事」であるとする伝承もあるようです。
現在「むちうけの岩」は寺領町の「松栄山松韻寺/紹介記事」の境内に据えられています。
神社周辺の田んぼは圃場整備が行われていて非常に綺麗な田園風景が広がっています。田んぼの一角に鎮守の森を有する稲荷社の境内は遠くからでも「あっ、あそこに神社があるな。」を一目でわかります。
桜井町の色々な史跡を巡っていく中、一覧みたいな記事を書こうかなと思って勝手に「桜井町誌」を作成してみました。「綾姫伝説」についてもまとめていく予定ですので、是非ご覧ください。
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参拝記
前述の様に、田圃の中に浮かぶように鎮守の森が広がる「稲荷社」の境内です。結構と置くからでもこの鎮守の森は目立っています。
境内入口
参道の脇まで田んぼが広がっていて、まさに田んぼに浮かぶ神社と称してもおかしくない風景となっています。
社号標
「岩根稲荷社」と彫られている社号標になります。小川町にな何社か神社が存在している為、地区名+神社名で表している所が多い様な気がします。
鳥居
大正九年建立の扁額のない明神鳥居となります。
手水舎
木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
倒壊防止の鉄製の支え柱が設けられているのですが、三方しか支えていないのでなんかアンバランスな感じがします。
狛狐
昭和九年生まれの狛狐一対です。
狛犬と比べると、造りが繊細なのか破損している狛狐が多い様な気がします。
社殿
切妻造瓦葺平入の拝殿にになります。三間×二間の大きさの比較的小規模な神社で見かける拝殿の様式になります。
ここ稲荷社の本殿は最近修繕が行われた様で、色鮮やかな本殿の装飾となっています。紅白で塗られた本殿は非常に珍しいと思うのですが、非常に鮮やかでこれはこれでありだなと思ってしまいます。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 稲荷社 |
鎮座地 | 愛知県安城市小川町大久根九十七番地 |
最寄駅 | あんくるバス2号桜井線「岩根バス停」徒歩4分 |