安城市 安城市 矢作川神社巡り紀行

春日神社(愛知県安城市木戸町) 木戸城址鎮座

2020年5月30日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社紹介

神社名春日神社
鎮座地愛知県安城市木戸町東屋敷六十六番地
御祭神天津児屋根尊
旧社格神饌幣帛料供進指定村社
創 建伝:仁和年中(885-8年)
神名帳
境内社諏訪社、稲荷社、素戔嗚社、社口社
例祭日十一月第二土曜日
御朱印
H P

参拝日:2020年5月25日

御由緒

 社伝によると、平安時代である仁和年中(885-8年)に出水(洪水)により社殿が流れ着いた所を村民引き揚げて祀ったとされています。その当時は現在の鎮座地から北東に約三町(凡そ300m)の所にあったと言います。
 文明年間(1469-86年)、松平家家臣「成瀬直庸」はこの木戸の地に、小浦氏の桜井城石川氏の小川志茂城加藤氏の岩根城に圧力を加える事と同時に吉良氏への抑えとして「木戸城/紹介記事」を築いています。

 成瀬氏の祖は関白太政大臣「二条良基」であり、さらにさかのぼると藤原氏にたどり着きます。木戸城を築城した際、成瀬家の氏神として藤原氏の祖神である「春日神」を勧請し木戸城北東に鎮座していた社に合祀し、「春日神社」と称したのが始まりではないかと思います。碧海郡桜井村史によると、現在の祭神は「天津児屋根尊」の一柱のみとなっているが、春日神が勧請された当初は「武甕槌命」、「経津主命」を加えた三柱を祭神としていたのではないかとしています。また、春日神を勧請したのは元亀元年(1570年)に成瀬家八代「成瀬正義」による物であるとしています。

 徳川家康の関東移封に伴い、時の当主「成瀬正一」も関東に移動した為、木戸城は廃城となり、この時木戸城址に春日神社を遷座したと伝えられているのですが、碧海郡桜井村史によると、「成瀬正義」が元亀三年(1572年)の三方ヶ原の戦いで戦死した後に居城であった木戸城に春日神社を遷座させたとあります。

 社伝に創建は仁和年中(885-8年)という。この地一帯、平安時代は藤原氏の志貴荘にて木戸城主の成瀬氏は藤原氏の後裔でその祖神の春日神社を創祀した。
 明治五年十月十四日、村社に列格し、同四十年二月、社殿を改修する。同四十四年十二月二十七日、神饌幣帛料供進指定社となる。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

歴史探訪

 「木戸城址」の鎮座する「春日神社」を参拝します。木戸城の紹介記事でも書いているのですが、木戸城が破却される前に春日神社が遷座し城跡全体が神域となった事で、木戸城の遺構がハッキリと残る結果となっています。
 松平家初代「松平親氏」から代々仕えていた「成瀬氏」に木戸城を築城させてまで、矢作川右岸の領有化政策を進める松平信光、親忠の戦略が見えてくる気がします。

 桜井町の色々な史跡を巡っていく中、一覧みたいな記事を書こうかなと思って勝手に「桜井町誌」を作成してみました。「綾姫伝説」についてもまとめていく予定ですので、是非ご覧ください。

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参拝記

 矢作川の小川橋から志貴野橋の間の右岸側に鎮座する「春日神社」になります。小川橋から堤防を走っていくと、田園が広がる先にこんもりとした鎮守の森が見えてきます。この森が春日神社の境内になります。

境内入口

 現在では春日神社の正面をまさに横切る形で矢作川が流れている為、春日神社正面に据えられている鳥居の先には堤防しか見えない状況となっています。元々からこんな形ではなく、江戸時代になり徳川家康の命により矢作川の治水事業の一環で八ツ面から鷲塚にかけて掘削して放水路を作っています。この放水路が現在の矢作川になります。
 ちょうど春日神社の南側辺りで矢作川と矢作古川が分水点となっています。

 矢作川の堤防道路なんですが、所々複線化されていて、丁度春日神社前から志貴野橋手前まで堤防の改良工事と共に複線化された堤防道路が共用されています。こんな感じの堤防道路が整備されていくと非常に便利なんですけどねえ。

社号標

 社伝正面側には新しく作られえた社号標が据えられているのですが、境内の北側には旧社格のある「村社春日神社」と彫られた社号標が据えられています。木戸の集落から春日神社に向かう場合、こちら側が正面になります。

手水舎・水盤

 露天型の手水舎になります。自然石を用いた水盤に龍の頭を模った給水口の組み合わせですね。

狛犬

 昭和八年生まれの狛犬一対になります。

社殿

 入母屋造瓦葺平入の拝殿になります。
 本殿部分は木戸城の土塁上に鎮座しており、拝殿部分は本殿に合わせた高さにする為に石垣を用いて盛土した上で建築されている様です。
 しかし、実際はこの石垣は木戸城とは全く関係のない物なんですが、城跡に鎮座していることもあり、土塁と石垣の組み合わせが非常に絵になる社殿ではないでしょうか。

境内社

境内社である諏訪社、稲荷社、素戔嗚社、社口社の合殿になります。境内社四社の石柱が設けられているので境内社の詳細が分かり非常に助かります。

地図で鎮座地を確認

神社名春日神社
鎮座地愛知県安城市木戸町東屋敷六十六番地
最寄駅あんくるバス2号桜井線「木戸バス停」徒歩2分

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